この❝パーパス❞という言葉、最近社内でもやたらと聞くようになりました…
使われ方としては、パーパス(目的)→ 企業の存在意義…つまりは『社会において、企業が何のために存在し、事業を展開するのか』を示すことが重要、という感じでしょうか
そして先日、会社でもグループの経営トップが全社員に向け、『みなさんの生き方のパーパスに、会社のパーパスを入れてください』という発言をしていました
社員個人の生きる意義>勤める会社の存在意義、という図式です
これまでは、ワークライフバランスという言葉の通り、ワークとライフは別もので双方のバランスをとりましょう…という風潮がこれまで先端の流行りだったのに、大きな変化ですよね…
言うなれば ワークインライフ というところでしょうか
でもこれ、すごく大切でよいことだと思います
会社に自分の人生を捧げるなんて、とてもおかしなことだし…
正直、会社のために自分の人生があるわけではないですよね…
現実的には、勤めている会社にはそこまでの魅力や価値はないことのほうがほとんどです
もし、そんな魅力的な会社に勤めることができれば、それはそれでものすごく幸せなことだと思います
自分の人生、幸せな人生を送ることができるかどうかが最重要で、自分の生き方のパーパスに会社のパーパスをうまく包含できることって、そうそうあることではないと思います
そして残念だったのは、グループ経営トップのこの言葉に、傘下の事業会社の社長や役員連中が、この意味をまったく理解できていなかったということ、響いていなかったこと…
事業会社の社長なんかは、『えっ?逆じゃないの?会社の中に自分の人生の意義を見つけるんじゃないの?』なんて言っていたというから、真逆の発想でほんと終わっています…
こういう発言が出るという時点で、この事業会社の社員は❝社畜扱い❞されているのだと感じます
個々の人生の優先順位を高めるからこそ、グループ経営トップの発言のように❝社員の生き方のパーパス>会社のパーパス❞という図式が成り立つはずなのに…
今の役員連中もこの事業会社の社長の子飼いたちなので、発想は一緒、というか右ならえなので…ほんと情けない話です
ちなみに、一橋ビジネススクール客員教授 名和高司氏が『パーパス経営: 30年先の視点から現在を捉える』という書籍を出していて、今度読んでみようと思っています
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